花輪線の山越えの起点となる荒屋新町には、かつて8620形が常駐していた旧盛岡機関区荒屋新町支区の転車台が今も残されています。
2021年10月17日に花輪線が全線開通から90周年を迎えることを記念して、花輪線90周年記念号が運行されました。この旅行ツアーに転車台の特別見学が含まれていたので参加してみました。
盛岡から2時間半弱で荒屋新町に到着です。
現在も保線基地として現役の設備ですので、見学するチャンスは中々ありませんでした。
駅前には説明書きの看板が建てられていました。バック運転の後補機2台とか凄すぎる…
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基地は駅出口と反対側にあるので、線路沿いからアンダーパスを経由して向かいます。
扇形庫内には入れませんでしたが、普段閉じている扉が開いている姿を見られたので満足です。
敷地内にやってきました。転車台にはモーターカーが載せられています。
上路式バランスト形で長さは50フィート(15.2m級)。通称G2。会津川口も同サイズです。
8620のホイールベースが14254mmなので丙線向けのサイズであることがわかります。
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時計回りと反時計回りで数回転する姿を見ることが出来ました。動画は下の方にあります。
今は車両の出し入れが主だと思いますので、これだけ回る姿は貴重だと思います。
1928年(昭和3年)10月に竣工、桁はドイツ・ハーコート社製の舶来品です。
ハーコート社の橋梁は中央線の飯田橋や水道橋などにも現役で残ってたりします。
余談ですが桁上の軌道モーターカーはHTR600形で記号の意味は、
H:ハイドロニック、T:トルクコンバータ、R:ロータリー、600:馬力(PS)、R:レール
とのこと。冬場はロータリヘッドを付けて除雪作業にあたるそうです。
銘板も記録。1903年とあるので25年ほどは他所で活躍し、移設された可能性が高いです。
大正から昭和にかけて輸送量の増大や機関車の大型化に伴い、転車台も大型化が進められ初期の小型・中型機を地方に移設する配置転換はよく行われていました。舶来品の転車台は国産化が進む前に設置されたものが大半なので移設率は高めです。(北濃や千頭なども移設です)
牽引車は窓下のゼブラ模様が特長的。
G2で他に電動化されている転車台は、現存する場所だと信濃大町や小出くらいでしょうか。
ピットは玉石積みのようですが、本線に繋がる外周線の下はコンクリートになっています。
一番使用頻度が高い線路なので軸重による沈下対策でしょうかね?
ロック機構は板スライド式ですが、リンクやクランク等を用いた施錠装置は一切なく、人の手で板を外周線路に引き出すだけの古典的な造りです。
ここまでシンプルなロック機構は初めて見ました。
牽引車と反対側のスライド板は把手が付いていますが牽引車側の板にはありませんでした。
桁のロック作業は板の中央に溶接されたナットに棒を引っ掛けて行っていました。
そのひっかけ棒は牽引車に掛けられていました。(作業灯の下)
この棒、蒸気機関車の機関室に装備されている火室のかき混ぜ棒ではないかと思います。
手作りなのかバリエーションが色々とあるようで、上写真の牽引車に掛けてある2本も長さが異なります。ひょっとしたら8620の形見だったりするかもしれません…
上写真はC58 239 銀河。2018年撮影
扇形庫は1955年(昭和30年)12月竣工で、収容線は4線あります。夏場は使わないロータリーヘッドなどが保管されているかもしれません。隣にはコンクリートブロック造りの危険品庫もいました。
会場で初めて気が付いたのがこの車庫。今までただの倉庫かと思っていましたが、ちゃんと線路が伸びていました。写真には写っていませんが、手前側にも側線が2本あるので外周線は計7線と、この規模の基地にしては多めです。
花輪線90周年記念号は大館まで全線通しで運行されました。
大館からはつがる5号で新青森に向かい、東北新幹線で帰路につきました。
最後に動画を
雨でちょいちょいスリップしてます
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